夜明け

 

 簡易鎧に身を包んだ戦士の大剣が、巨大なドラゴンの首を切り落とした。滑らかな切り口を見せるその首から、鮮血が勢い良く迸る。大剣を振り下ろした姿勢の戦士は、しばらくそのままで勝利の余韻を味わった。そうしてから剣に付着した血糊を振り落とし、落ちきらなかった分は腰に巻きつけた布で拭う。剣を鞘に収めて、戦士は振り返った。
「楽勝だったな」
 視線の先に、女がひとりいた。淡い橙色のローブを纏っている。その右手に握られた杖の宝玉は、ついさきほどまで大忙しで稼動していた、その残滓を惜しむかのように小さく瞬いている。サファイア色のその宝玉は、持ち主の瞳と同じ色をしていた。
「そう? けっこうキツかったんだけど」
 戦士に向かって、魔術師は言った。周囲では、魔物の死骸が山を成している。彼女は、特に意味は無いが、杖をひと振りして、その陰惨な光景から目を背けた。宝玉の光は消えていた。
 そこは、石で造られた古い遺跡だった。地上に開いた入り口から地下への階段が伸び、その先には広大な古の世界が広がっている。石の壁、石の床、石の天井。石で覆われた空間。閉ざされた、しかし膨大な容積を誇るその遺跡は、全体的に苔むしていた。頑健な構造は、陽を嫌う獣や魔物の、恰好の棲息場となっている。縄張りという言葉も当てはまるかもしれない。
 戦士の名はヘイゼルという。長身の、精悍な顔つきの青年だ。白銀の鎧。そして大剣。幅広の、素晴らしく切れ味の良い刃。だがその分刃こぼれしやすいので、手入れを欠かすことはできない。彼は額に白い鉢巻を巻いていて、その上に自らの名の通り榛色の髪を垂らしている。腰には短剣と、さきほど血糊を拭った布を提げている。
 魔術師はプリメーラ。だが愛称をとって、プリムと呼ばれることが多い。目鼻立ちのきりっとした、涼やかな美女である。だがヘイゼルより幾らか若く、まだ少女の面影が残る。光の加減によっては炎の色にも見える、橙色の髪の持ち主である。ローブもこの髪の色に合わせたものだ。袖なしに改造してあり、アンダーウェアの黒いシャツの袖が覗いている。
 ふたりがいるところとは異なる部屋から、また別のふたり組が姿を現した。プリメーラよりもさらに若い少年と、ヘイゼルより少し若い女だ。少年はプリメーラに駆け寄り、快活な口調で話し掛けた。
「お! こっちも片付いたんだな! プリメーラ、疲れてんの? 皺が増えたような」
「……消し炭にされたいの?」
「こええ」
 底冷えのする声で言われ、少年はヘイゼルの陰に隠れた。その様子を、プリメーラは目を細めて眺めている。燐光を放ち始めていた杖の宝玉が、しかし何も起こさずに鎮まった。
「女に皺の話は禁物だって、何回言ったら分かるんだい?」
 腰に手を当て、プリメーラではない方の女が言う。青いバンダナを額に巻いた、赤い巻き毛の女。露出度の高い服装で、右と左の両方の腰に短剣の鞘を差している。シーフだ。
「あ〜、パシィも最近やばいもんな」
 パシィことパーシヴァルは、少年のその言葉に方頬をひくつかせる。少年に腰をつかまれながら、ヘイゼルは頭を抱えたい気分になっていた。
「なあ、ロット。お前もー少し空気を読むってことをしたほうがいいぞ」
「わざとだし」
「死刑」
 宣言して、パーシヴァルが少年――ロットを追いまわし始める。黒髪で小柄な、若草色の服と革のズボンに身を包んだ狩人の少年は、奇声を発しながら逃走した。だが素早さではやはりパーシヴァルが勝り、追い詰められたロットが降参した。
「ったく、悪ガキだねえ」
 息を切らすこともなく、パーシヴァルは腰に手を当てて笑った。ロットはあまり反省した様子も無く、またプリメーラに絡み出す。プリメーラのフラストレーションに比例して宝玉が輝きを増すのだが、ロットはそれに気付かない。頭を抱えながら、ヘイゼルは力の無い声で言った。
「じゃ、帰ろうか。やれやれ」

 彼らは街に帰還した。その一角、酒場の裏で話し合っている。
 地面に広げられたアイテムの群れは、ガレージセールか何かのようだった。武器や防具、それに貴金属類、宝石類、さらには発光苔を利用した簡便な照明器具まで。いずれも遺跡で手に入れた(あるいはモンスターや彼ら以前に訪れた者の死体から奪った)ものである。
「このナイフはいらないね。売っていいよ」
「ああ。プリメーラ、このローブはどうする?」
「死体が着てたものなんて着たくないわ。臭そうだし」
「プリムのローブっていい匂いだっけ?」
 頭の後ろで手を組んだロットが、また要らぬことを言う。実際は、プリメーラのローブはローズマリーのコロンが振られた、良い香りのするものだ。彼女自身が身だしなみにうるさいこともある。
「ロット。あなたとは一度、本気で決着つけなきゃいけないみたいね?」
「降参」
 さっさと両手を挙げて、ロット。プリメーラも本気で怒っていたわけではないが、彼女の感情は把握しづらい。ヘイゼルはしょっちゅう肝を冷やしていた。パーシヴァルは、そういったロットとプリメーラのやりとりを見て愉快そうに笑う。
「さて、明日の予定だが」
 地面に腰を下ろしたままで、ヘイゼルが切り出す。彼とロットは地面に座り、女性陣は側にあった樽に腰掛けている。
「クロックワイズ洞穴はどうだ? そろそろ俺たちの実力も、あそこに挑める程度にはなっただろう」
 難攻と言われる、天然の深い洞穴。それがクロックワイズ洞穴だ。先の遺跡よりも強力な魔物たちが、数多く巣食っている。彼らは冒険者だが、同業者からそこの噂は幾度も耳にしていた。しかも最深部には、兇悪な魔神が待ち構えているらしい。
「いいね。行こうじゃないの」
 真っ先に賛同したのはパーシヴァルだった。それに続いてプリメーラが頷き、最後にロットが嫌そうな顔をして、渋々承諾した。
「んじゃ、今日はこれで解散にするか」
「ええ。わたしも疲れたわ。それに眠いし」
「って、もうこんな時間かよ!」
 ロットはそう言うが、空は青く、太陽は地上に燦々とした光を注いでいる。街の時刻は、まだ夕方と言うにも早すぎる。だが彼らは、そのまま就寝の挨拶を交わしていた。
「じゃあな。おやすみ」
「おやすみー」
 ……そして世界は闇に包まれた。

 真っ黒になったブラウン管を見つめ、彼は嘆息した。今日も長い冒険が終わった。ゲーム機は鈍い動作音を止め、沈黙した。後には心地よい眠気が残った。さきほどまでネットワークを介して世界と繋がっていたのだと、曖昧な実感を彼は噛み締める。
「寝るか」
 独り呟いて、彼は部屋の明かりを消した。だが閉じたカーテンからは光が漏れている。時刻は午前6時。夜明けだった。彼はそのままベッドに入らず、カーテンを開けた。眩しさに目を細める。
「おお。綺麗じゃん」
 空は朝焼けに染まっていた。日の出の方角から天頂にかけて、淡いグラデーションが駆けている。今ごろあいつらもこの空を見ているだろうかと、ブラウン管の向こうの、顔は知らないが気の置けない仲間である3人を想う。
「やっぱサイコーだよ」
 さあ、もう寝なければ。明日も冒険が待っているのだ。身体を休めておかなければならない――。

________closed.