NOT ENDED

 

 現代医療の延命処置というものについて、彼女も他の世間人同様、常々疑問を感じていた。老衰のために死が間近に迫った老人を医療用ベッドに拘束し、わけのわからないチューブやらなにやらで機械に繋いで無理やり「生きさせる」ということにだ。そんなことをしても苦しみの時間が延びるだけではないか? いっそ自宅で静かに天寿を迎えて死なせてあげるほうが、本人にとっても幸せなのではないか? 何日も意識を失ったまま、口を利くことも家族の顔を見ることもできずに、ただ脳と心臓が止まっていない状態にある。それは「生きている」と呼べるのか?
 ……だが。
 実際に祖母が危篤となって、彼女はそれまでの自分の考えが欺瞞的なものでしかなかったことを知った。幼いころから自分の世話をよく看てくれた祖母。同じ家に住んではいなかったが、盆などに遊びに行くと必ず笑顔で迎えてくれた。小遣いもたくさん貰った。彼女は、おばあちゃんが大好きだった。
 その祖母の命が終わろうとしている。彼女の心は、悲しみともうひとつの思いでいっぱいだった。なんとか生きて欲しい。1日でも多く、その生を永らえて欲しい。意識が戻らずとも、自分のことを知覚できなくとも、それでも生きて欲しい。生きて、万に一つでもあるかもしれない快復の兆しを見せて欲しい。そう願って、彼女は毎日、祖母が眠る病院を訪れた。
 友達や知人は、彼女に励ましの声をかけてくれた。皆月並みな言葉で、彼女の祖母が元気になることを願っていると言った。その言葉は気休めではあったにしろ、彼女にいくらかの喜びを与えはした。だがそれでどうなるわけでもないことを彼女は理解していた。自らもそうなることを願いつつ、心のどこかではそれが絶望であろうことを感じていた。

 葬式は粛々と行われた。葬儀に続いて告別式が行われる。親族や親交のあった祖父母、両親の知人たちが訪れ、香典を納め、献花をしていく。彼女はそののろのろとした光景を、空虚な思いで眺めていた。プロテスタントに入信し、バプテスマと呼ばれる洗礼を受けたのが彼女の家族だった。
 実感は無いに等しかった。祖母が死んだ瞬間も、彼女はあまり涙を流さなかった。覚悟ができていたからだろうか。意外に冷静な自分に驚きつつ、彼女は次第に冷たくなっていく祖母の身体を拭いた。やせ衰えたその身体はひどく軽くて、彼女はその時初めて悲しみを痛感した。
 牧師による説教が唱えられている。遺体を収めた棺の前で、彼女はやや俯き加減に無表情だった。どうにも無感動な自分に苛立ちを覚えていた。もっと悲しみなさいよ、と自分を叱咤するが、感情のコントロールなどできる筈も無い。彼女は比較的熱心なクリスチャンだったが、今は朗読される聖書の一説にも皮肉な感情を抱かずにはいられなかった。
 昨日の前夜式でも、彼女は執り行われる一連の儀式を淡白に眺めていた。あれほど母になついていた娘がどうしたのかと、彼女の父が心配したほどだった。彼女自身も、自らの悲しみの感覚が麻痺したか封印されたのかと思った。
 だがそうではなかった。
 出棺の際、彼女は祖母の顔を見た。白く、痩せていて、しかし穏やかな顔だった。生命感の失われた、だが綺麗なその顔を見て。彼女は圧倒的な死の実感を抱いた。おばあちゃんが死んでしまった。もう会えない。もう話せない。もう笑い合えない。じゃれることもできない。
 堰を切ったように、涙が溢れ出した。握っていたハンカチを目に当てることも忘れて、彼女は頬にその雫を伝わらせた。それまで何も言わず、何も感じていなかったような彼女の突然の落涙に、家族や親戚たちが驚いていた。表情が歪むのが解った。彼女は深く俯いて、床に涙を落とした。握り締めた手が白くなっていた。どれだけ泣いても、その涙は止まらなかった。
「おばあちゃん」
 期せずして、自分の口をその言葉が衝いた。誰よりも故人を愛していたのが彼女だったのだと知って、彼女の両親が同様に涙を流した。その場の者たちが沈痛な表情を浮かべた。キリスト教では死は永遠の生命の始まりとされているが、今は教義を鑑みることなどできなかった。ただただ、悲しみだけがその小さな世界を支配していた。
 彼女の肩を従姉が抱き、涙を拭いた彼女は祖母の眠る棺を支えた。皆で運ぶ棺は、ひどく軽かった。

 その日は快晴で、それまでの薄寒い天候とは打って変わった陽気だった。彼女は額に僅かににじんだ汗を拭い、祖母の墓の前にしゃがみこんだ。今日は祖母の一周忌である。彼女は仕事の都合で、家族や近しい親戚たちより遅れての墓参りとなった。
 彼女の祖母は火葬され、先祖代々の墓にそのお骨は納められている。このあたりは、やはり無宗教国家である日本らしいところだろうか。主の許へ旅立つより、自らの夫や両親たちと同じ墓に入ることを、祖母は選んだ。
 彼女に先んじて供えられた花に、自分が買ってきた花を加える。そうしてから彼女は、自分の近況を祖母に話し始めた。高校を卒業して、うまく就職できたこと。社会人としての2年生が始まったこと。最近お気に入りの服。それを買いに、先日友人と買い物に行ったこと。そういった他愛無いが幸せな話。彼女は穏やかな気持ちで、祖母に語り続けた。
 スーツのポケットで、携帯電話が震えた。話を中断し、メールの着信を知らせるそれを取り出す。ボタンを操作して、届いたメールを確認した。携帯電話の小さなディスプレイに、それ以上に小さな文字が表示されている。件名は「大ニュース!」とあった。差出人は彼女の母だ。

「大ニュースです! なんと、ケイちゃんに赤ちゃんが出来ました! もう3ヶ月になるんだって。出産は来年の1月予定らしいよ。楽しみだねー!」

 ――驚きのためか。しばらく、彼女は画面を凝視したまま動けなかった。白い画面に映された、ほんの短い文。それに魅了されたかのように、彼女は瞳をそこに留めたままだった。
 と、その四角い画面に水滴が落ちる。彼女の右眼から流れた涙だった。
「終わってない」
 かすかに震える声で、彼女は呟いた。すぐそばに誰かがいたとしても、その声は聞き取れなかっただろう。それほど弱々しい声だった。
「新しく始まる命があるんだね」
 2年前に結婚した従姉の内に芽生えた新たな生命。消えていく命があれば、生まれる命がある。祖母の命は、こうして次の世代に続いていく。そうして人は家族を、歴史を築いてきたのだと。彼女はそう思わずにはいられなかった。運命という言葉があるが、まさしくそれこそが命の運びではないか。従姉の胎内で、その命は確かに息づいているのだ。
 彼女は立ち上がり、親戚たちが集まっているはずの家に向かった。受け継がれた命の芽生えを祝うために。優しかった祖母の思い出を、新しい命に託すために。

________closed.