讃美歌

 

 讃美歌とは、歌うことによる神への讃美である。
 讃美歌は、神への讃美を表現する歌である。
 讃美であっても、神への讃美でなければ讃美歌ではない。
 讃美で、しかも神への讃美であっても、うたわなければ讃美歌ではない。
 したがって讃美歌であるためには、3つのことがら
  −讃美・神への讃美・さらに歌われること− が必要となるのである。

聖アウグスティヌス

 12月24日。イエスが生まれた聖なる日が、今年もやってきた。
 菜花は去年のこの日以来、1年間待ち焦がれた日の到来に胸を躍らせていた。彼女の生家たる遠野家は、5代前からのクリスチャンである。家族全員が聖書を持ち、毎週日曜日には揃って教会に礼拝に出かける。カトリックでいうところのミサだが、彼女の家はプロテスタントなのでそうは言わず、単に「礼拝」と呼ぶ。
 菜花はその日、朝からリビングのソファでじたばたとはしゃいでいた。双子の弟、悠斗と一緒に。ふたりは今年、9歳になった。元気な子供たちの楽しそうな様子に、母親の瞭子は朝食の支度をしながら微笑む。
「聖歌隊の練習があるから、学校が終わったらすぐに帰って来るのよ」
「は〜い!」
 瞭子の子供たちはそう快活に答え、目玉焼きを載せたトーストを平らげた。ホットのカフェ・オレを飲み干し、ランドセルを背負って玄関に向かう。彼らは、歯は朝食前に磨くのを習慣にしている。顔もその時に洗う。眠気をすっきりと覚ました子供たちは、冬の寒さもものともせずに家を飛び出して行った。

 時刻は午後5時。父親を除いた遠野家の3人は、教会への道を歩いていた。住宅街の整った道路を歩き、少し広めの道に出る。自動車の交通量もそこそこ多く、この道が街の大動脈になっている。瞭子が歩道の中央、その右に菜花、左に悠斗だ。
 菜花は自分の右手、落下防止の柵に隔てられた池に目を遣っていた。鴨の親子が、並んで水面を泳いでいる。親鳥の後にくっついて離れない子鳥が可愛らしくて、菜花は小さく笑った。それに悠斗が気づき、幼い男の子特有の意地悪い口調で彼女をからかった。
 歩道には並木が植えられている。何の木なのか菜花は知らなかったが、毎年秋から冬にかけて、たくさんの葉を散らす。紅や黄にその色を変えた葉を踏んで歩くのが、菜花は好きだった。落ち葉に小さい妖精が宿っているのだと、彼女は夢想した。だから踏むと、妖精がくしゃりと返事を返すのだ。散歩は妖精との会話だった。
 道は少し下り、広い公園を大きく迂回する。公園を通り過ぎ、並木もまばらになりはじめたころに教会に到着した。白い壁とステンドグラス、屋根には十字架。ごく標準的な造りの教会だ。中ではすでに、牧師や教会婦人会の面々がイヴ礼拝の準備を進めていることだろう。
 教会の中は、いつ来てもある種の暖かみに満ちていた。それは菜花を安らがせた。白い壁紙、ステンドグラス、祭壇、そして十字架。壁にはキャンドルを備えた燭台。
 悠斗が駆け出し、牧師にまとわりつく。牧師はちょこまかと動き回る悪がきを、優しい瞳で追っていた。菜花は母と共に牧師に挨拶し、聖歌隊の練習に向かった。
 今日の礼拝では、「讃美歌21」によるところの讃美歌32「キリエ・エレイソン」、242「主を待ち望むアドヴェント」、252「羊はねむれり」、95「聖なる霊よ」、261「もろびとこぞりて」、61「われらは信ず」、68「愛するイェスよ」、162「見よ、兄弟が」、21「主をほめたたえよ」、191「われら迎えん、救いの光」の10曲を歌う。うち、聖歌隊が歌うのは1曲、191だ。
 讃美歌を歌うのが、菜花は好きだった。プロテスタントの難しい教義はまだ彼女には理解できていないが、讃美歌は純粋に歌として素晴らしいものだと、そう感じていた。オルガンの伴奏に合わせて、安らかなメロディを歌う。
 聖歌隊の練習は、1時間ほど続いた。存分に歌って、菜花は満足だった。だがこれから、まだまだたくさん歌うことになる。礼拝もキャロリングも、まだ始まってすらいないのだ。
 午後7時。イヴ礼拝が始まった。礼拝堂内の明かりを落とし、各々の手元のキャンドルだけが光源となる。幻想的なその光景に、初めての参加者は魅了される。オルガンによる前奏が始まった。聖歌の幽玄なメロディが、礼拝堂内に優しく響く。
 礼拝は慎ましやかに進行した。前奏、招詩、讃美、祈り、聖書の朗読、聖歌隊による讃美、頌栄、献金、祝祷、そして後奏。牧師の説教と聖なる言葉、そして讃美歌が入れ替わりながら堂内に満ちる。冷厳だが柔らかい空気の中、菜花は自分の胸に起こる渦に戸惑う。渦は彼女の心を捕らえ、身体の外に噴出した。キャンドルの明かりとステンドグラスの暗い硝子が混ざり合い、彼女の目にはあの木の葉の妖精が映っていた。妖精に微笑みかけ、彼女はそれを肩に載せて、聖書に目を落とした。
 交読では、
イザヤ書11章1−10節、旧約聖書1078ページ、「平和の王」を読んだ。

「ハレルヤ」
「ハレルヤ」
「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」
「その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊」
「彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない」
「弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる」
「正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる」
「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く」
「牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう」
「乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる」
「わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる」
「その日が来れば、エッサイの根は、すべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」
「主に感謝」
「アーメン」

 他、ヨハネによる福音書12章46−47節、コリントの信徒への手紙1の1章28−30節など。イヴの礼拝に相応しい節を読み上げる。菜花や悠斗はもちろん言葉の意味は理解できなかったが、母と、勤務先から直接やって来た父と共に、それらの聖句を詠んだ。
 聖歌隊の出番では、十分に練習した「われら迎えん、救いの光」を満喫した。彼女の声は「天使の声」ともてはやされている。素晴らしく良く通るソプラノ。この聖歌隊はそれほど有名というわけでもないが、彼女の評判はまずまずだった。知る人ぞ知る、というところか。
 オルガンによる後奏が終わり、いよいよキャロリングに出かける。礼拝の美しい光景も好きな菜花と悠斗だが、やはりこのキャロリングには敵わない。大人の中には街中で讃美歌を歌うことに抵抗を覚える者もいるようだが、ふたりは皆で街に出、楽しく歌うことが大好きだった。妖精はいつの間にかいなくなっていた。木の葉に帰り、聖夜をひっそりと暮らすのだろう。外ではいつの間にか、雪が降り始めていた。
「菜花、鼻水出てるぞ」
「うそっ!?」
 悠斗に言われて、慌てて鼻に手を遣るが、指には粘ついた液体は付かなかった。
 逃げ回る悠斗を追いかける菜花を見て、信者たちが苦笑する。カイロを握っている彼らに比べて、素手で走り回る子供たちはあまりに元気だった。その姿は、道往く人々の心まで和ませた。
「ほらほら、ちゃんとキャンドルを持って」
「はーい」
 瞭子が声をかけると、ふたりはすぐに追いかけっこをやめ、キャンドルを受け取りに来た。父親の陽平が、悠斗の髪をくしゃくしゃにかきまぜた。変な方向に跳ねた髪に、悠斗が悲鳴を上げる。信者たちが笑った。
 教会に通う老人たちの家を訪れ、近くの住宅団地を訪れ、駅前のパン屋前の広場を訪れた。そのいずれでも讃美歌を歌い、どこでも菜花の歌声は絶賛を浴びた。菜花と悠斗の他に子供がいなかったのと、悠斗が彼女に嫉妬するような人間でなかったことで、彼女は厭味を言われることも無く、素直にそれらの言葉を喜んだ。
 場所を選ぶべきではないが、やはり人通りの多い駅前が本番と言えた。そこでは古今聖歌集から「いざうたえ いざいわえ」、「きたり きけよ」、「みつかいの主なる」、プレイズ&ワーシップから「インマヌエル麗しい御名」を歌い、ハンドベルで「ああベツレヘムよ」、「かみにはさかえ」、「あら野のはてに」のメドレーと、「きよしこのよる」を演奏した。菜花はハンドベルでは平凡で、悠斗と一緒にところどころで間違えたりもした。
 菜花のよく通る歌声は、何人もの人間の足を止めた。彼らは盛り上がるキャロリングの雰囲気を共有しようと、駅前に留まった。大人たちの頭の陰に、妖精の姿が見えた。歌に合わせて踊る妖精を手招きし、彼女も一緒に踊った。讃美歌は彼女の口から紡がれ、彼女を包んだ。
 歌は世界を魅了した。その瞬間、人々は確かに天使の声を聞いたのだ。それはいつまでも、小さなパン屋の前で踊っていた。歌声は天の琴線であり、調べは神の意志だった。妖精は天使に微笑み、舞い降りる雪は彼らを祝福していた。
 聖なる夜の小さなキャロルが、皆の心に深く残った。

あら野のはてに 夕日は落ちて、
たえなるしらべ 天よりひびく。
グロリヤ イン エクセルシス デオ
グロリヤ イン エクセルシス デオ

ひつじをまもる 野べのまきびと、
あめなるうたを よろこびききぬ。
グロリヤ イン エクセルシス デオ
グロリヤ イン エクセルシス デオ

みうたをききて ひつじかいらは、
まぶねにふせる み子をおがみぬ。
グロリヤ イン エクセルシス デオ
グロリヤ イン エクセルシス デオ

今日しも御子は うまれたまいぬ。
よろずの民よ、いさみてうたえ。
グロリヤ イン エクセルシス デオ
グロリヤ イン エクセルシス デオ

                    讃美歌106「あら野のはてに」

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