夜更かしをするなら

 

 歌を歌おう。
 思い立って、私はMDコンポのリモコンを手に取る。電源を入れ、セットしたままになっていたお気に入りのCDを再生する。絞ったヴォリウムで、私の好きな女性ヴォーカルの歌が流れ始める。綺麗な歌、可愛い歌と、私の友人たちはこの歌を評する。だけど私は、この歌は気持ちいい歌だと思う。聴いていると心が、胸の中が洗い流されていく、そんな歌。速くもなく遅くもないテンポで、キーボードとギター、ドラムの音とヴォーカルの歌声が、混ざり合ってダンスする。
 昨日、授業を終えて真っ直ぐに帰宅した私は、両親と一緒に食事をし、お風呂に入り、深夜までは本を読んで過ごした。外国人作家の『満ち足りた生活』というタイトルの本。何の事件も起きず、静かに過ぎていく地中海での同棲生活を描いたこの本は、始終平坦で盛り上がることが無い。そのせいで人気が出ず、今や絶版寸前という希少種だ。私の本の趣味は一般的ではないようで、こういった大衆受けしない本ばかりが本棚に並んでいる。もう何度も読んだけれど、それでもまた読もうと思わせる魅力が、この穏やかな本にはある。
 深夜十二時。私は読書をやめて、カンバスを広げる。水彩絵の具と筆洗を用意して、筆を水に浸ける。たっぷりと水をたたえた毛をパレットに置き、絵の具のチューブを取り出す。まず藍色の絵の具を出して、水でめいっぱい薄める。不透明の藍色を透明な藍色に変える。それをカンバスいっぱいに塗りつける。淡い青に、真っ白だったカンバスが染まる。
 藍色が乾くまで、私は筆を置いて空想する。
 絵を描くのは幼い頃からの楽しみで、色鉛筆でのお絵かきの延長みたいなものだ。最近は想像の風景を描くのが好きで、下地に塗った色が乾くまでの間、描く風景を想う。真夜中の静けさが、優しく肌を撫でる風のように私を取り巻く。
 遠くで自動車のエンジン音が響いている。近頃鳴き始めた鈴虫の音色が幽かに聞える。公園の方では木の葉がさわさわと歌っている。距離を経て耳に届く人工の音と自然の音とが響き合って、小人のオーケストラのよう。
 目を開いて、私は再び筆を取る。思い描いた光景は、夜明けのものだった。太陽が地平線から顔を出し、深黒の世界を暖かく照らし始める、その光景。宙の塵に照りかえって光の線までが見えるような、夜のうちに降りた露が輝きを見せるような。澄み切った空気と透き通った光が満たす、地球の目覚め。
 朱色の絵の具を筆につけて、カンバスに置く。さっと引いたその線は、藍色を透かして太陽の光に化ける。私の夜明けは光が多い。朱色と黄色とオレンジを、バランスを考えて混ぜていく。やがてそれらは、私の夜明け色――クリーム色と熟れた柿の色の中間のような、曖昧な空の色になる。朝焼けの光に映える、空の色。私はその絵の具を、カンバスの白い空に描いていく。私の空想が、カンバスに甦る。
 頭の中に創り出したイメージが消えないように、私は時々、筆を休めて想像の暖炉に薪をくべる。暖炉の柔らかな炎が力を取り戻し、そして私はまた筆を取る。そんな作業を、しばらく続けた。
 ――いつの間にか、時間が経っていたのだろう。窓の外から雀のさえずりが聞こえてくる。新聞配達のバイクの音や、気の早い犬の挨拶。小人のオーケストラは、そろそろフィナーレを迎える。
 それは夜明けの音楽だった。遮光カーテンが光に透けている。私の夜明けが完成したころ、世界の夜明けが始まる。私は少しくらくらした。
 クッションから腰を上げ、窓に近づく。カーテンをさっと開くと、眩い陽光が私を照らした。まぶしさに目を細めながら、空を見上げる。そこにはどんな芸術家の絵も見劣りする、素晴らしい美があった。キンと冷え、澄み切った空気を朝陽が通り抜ける。浮遊する雲を朱け色に染め、影をつける。泣きたくなるほどに優しく、目が痛いほどに赤い太陽から始まって、飴色、琥珀色、花粉色と続くグラデーション。空はクリーム色を経て、やがて淡い瑠璃色になる。びいどろの器にありそうな、頼りない色。朝焼けの空は、昼の空ほど安心感を与えない。空の赤ちゃんだ。
「敵わないなぁ」
 呟いて、私は音楽をかける。小さな声で、ヴォーカルと同じ詞を歌う。夜明けの光を浴びて、休みの日を寝て過ごそうと決めていた私は、眠るのを遅らせることにする。太陽と空と街の調和を、もう少し眺めていたい。

________closed.